日本サイマティクス・セラピー研究会

サイマティクス・セラピーは人体の骨や筋肉、臓器が有する固有の周波数を、5つの音の調和音として患部に当て、共鳴・共振させて健康に戻す療法です。

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サイマティクス・セラピーを体験し、その素晴らしさに感動した一人です。新しい時代の代替療法、サイマティクス・セラピーを伝えることで人々の健康な生活に寄与したい…。
そんな思いからブログ管理人に名乗り出ました。サイマティクス・セラピーを実践されている多くのみなさまのアドバイスを受けながら、その情報を発信していきたいと思っています。

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音による治療の歴史   2013.05.23


音は古来より、世界中で薬として使用されてきました。

旧約聖書のサムエル記には、ダビデが初代イスラエル王サウルの鬱病を、竪琴で治したと書かれています。
音楽による癒しの、最初の記述ではないでしょうか。
紀元前1000年頃の話です。

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中国でも、音は医療として使われてきました。
薬という漢字は、草冠が薬草を表し、楽が音楽を表しています。
これは音楽で治療を行っていたことを意味するものです。
中医学の古典「黃帝内経」は、音楽療法について詳しく記述しており、音は健康に重要な位置を占めていました。

中国の音楽療法として知られているのが五音療法です。
これは五 臓(肝・心・脾・肺・腎)と六腑(胆・小腸・胃・大腸・膀胱・三焦)に対応する五つの音を使い、その音を共振させて臓器の働きを正常化するものです。
この療法を習得し施術するには、長年の経験が必要であったようです。

五音療法の基本は、サイマティクス・セラピーの考え方とよく似ています。


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 「ディジュリドゥ

オーストラリアのアボリジニは、シロアリによって中が空洞になった木で作った楽器、「ディジュリドゥ」を鳴らして病気治療を行っています。この治療法は、数千年前、あるいは数万年前から行われており、骨折の治療まで可能だと言われます。


古代ギリシャの数学者・哲学者であるピタゴラスは音を研究し、ピタゴラス音階を発見しました。
彼は、「昔は音楽を薬として使用していた」と述べています。この昔がいつ頃を意味するのかわかりませんが、ピタゴラスが活躍したのが紀元前5世紀のことですから、音の治療効果はかなり昔から知られていたことになります。

ピタゴラスはまた、次のような言葉を残しています。
“病気の原因は魂の不調和である”
“音楽は魂を調律し、覚醒させる”


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キリスト教会での聖歌や仏教のマントラ、チベット仏教のベルなども癒しの効果が高く、生命力を賦活させる効果があるようです。
最近では1/f のゆらぎが心を落ち着かせる作用があることがわかり、ヒーリングミュージックとして用いられています。

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眠れる予言者として知られ、多くの人たちの病を治したエドガー・ケイシーは、「未来に音は薬になる」と予言しています。
サイマティクスがケイシーの予言した音であるかどうかはわかりませんが、音が健康の鍵であることは間違いないようです。


参考:ピタゴラス音律   
   エドガー・ケイシー




マナー博士を招く   2009.07.21

これは、国内初のサイマティクスの機械が誕生する前の話。
1995年10月、サイマティクス・セラピーの素晴らしさを伝えたいと思った北村は、
その開発者であるマナー博士を日本に招き、講演会を開催することを計画した。

「サイマティクスを国内に普及するにあたって、ぜひ、博士のお力をお借りしたい」
-北村の申し出にマナー博士は快諾した。最初に講演会が開催されたのは東京であった。
これは慶應義塾大学のドクターの尽力により、医療関係者の動員が行われ、
集まったのは歯科医師、脳神経科、心療内科、一般内科等、
いずれもホリスティック医療に強い関心を抱くメンバーであった。

サイマティクスが紹介されるのは初の試み。音振が身体に
好影響を与えるという事実がどれだけ、受け入れられるかという懸念も
少なからずあった。しかし、それは講演会が始まるにつれ、
杞憂に過ぎなかったことを北村は実感する。

「サイマティクスの原理はどのように作用するのか」、
「臨床例はどのようなものがあるか」など、質問が絶えることなく続き、
18時開始、2時間で終了であった講演はそれをオーバーする23時にまで及んだ。
ちなみに、この講演会終了後に茨城県の歯科医師がサイマティクスの機械を購入。
医療現場で様々な効果があるという臨床データが寄せられている。

東京の二日後、今度は福岡で講演会が行われた。
今回は北村個人の動員により、医師をはじめ、鍼灸師、整体師が参加。
ここでも東京同様の反響があった。盛んな質疑応答の現場を見て、北村は
音振療法としてのサイマティクスの普及に確かな手応えを感じる。

講演会終了後、マナー博士を慰労したいと考えた北村は
ちょうど行われていた大相撲九州場所にマナー博士を招待し、
初めての日本の国技を堪能していただいた。

その後、京都での集まりに参加したマナー博士は、こう語り始めた。

 「いま、人類は自我我欲のために、自らが宇宙の一構成要素であるということを
忘れている。また、動物、植物、鉱物等、全ての構成要素との相互依存関係の上で、
人類が生存できているという大自然の法則を無視して、物質文明を追求してきた。
その結果、地球という素晴らしい環境を破壊している。

今や地球はあまりにも汚されてしまっている。我々一人ひとりが心の浄化に努め、
ひいては地球環境の浄化に臨まなければならない」-それはとりもなおさず、
地球浄化運動のメンバー全員が目指す一大テーマである。
異国の地からの来訪者のメッセージがその場に居合わせた全員に伝わるのを
北村は端で見ながら感じていた。

たまたまその日、金沢から来ていたという若い女性は
「感動のあまり、あふれる涙をこらえ切れない程の心に響くメッセージを感じた」と語っていた。

その翌日、北村は東京に戻り、当事のスタッフの大野善一郎と
通訳を依頼していた松下幸訓氏を伴い、マナー博士と共にシンガポール経由で
スリランカに向かう。目的はこの地で開催される代替医療学会への参加であった。

全世界から約1,500名近くもの医療関係者が集まる学会の席上、
マナー博士はサイマティクス・セラピーの臨床をスピーチ。ちなみにこの時、
北村もマナー博士に命じられるがままに、その席上に上がった。

 「自分が何を語れるわけでもないのに、側に座っていればいいからと
言われましてね。多分、日本でのサイマティクス普及の期待とサイマティクス
研究の窓口となることの紹介を兼ねたものであつたと思います」
-北村はそう、当事を述懐する。

マナー博士


代替医療学会でのマナー博士(左)と北村(右)

サイマティクスの普及活動   2009.03.30

機械が完成した後、北村は再び、イギリスのマナー博士のもとを訪ねた。
サイマティクスを普及するうえで改めて、その本質を学ぼうという思いからであった。
ここで北村はWHOの下部機関で代替医療の研究開発を推進する
The Open International University からDCBM
(Doctor of Cymatics & Bio Enegetic Medicine) の称号を得る。

こうして、サイマティクスの普及が始まる。通常、新機種が開発される場合、
その目途がついた時点で何らかのプロモーションが行われるものだが、
北村はセラピーの効果に確信を持てるまではそれをしたくなかった。
早い時期からアプローチをすることは考えなかったかとの問いに、
普段は温厚な北村が断固として答えた。

「サイマティクスは人様の健康に寄与しようとするもの。
だからこそ、無責任なことは絶対にしたくなかったんです」

強い目的意識をもってスタートした営業活動。しかし、当初は苦難の連続であった。
今でこそ、サイマティクスは世界で代替医療として高い評価を得ているが、
当事はそこまでの知名度がない。
しかも、日本では初めての紹介であり、普及である。

ちなみに、営業に従事したのは北村以外に福岡で一人、東京で二人。
今までになかったものを広めようというのに、わずか4名でそれを果たそうというのも
無謀と言えば、無謀である。営業先はクリニックや病院が中心。

しかも、何の紹介もない飛び込み営業である。最初の1年半は訪問しても3分として
話を聞いてもらえない、その大半が門前払いという状況が続いた。
それでも諦めなかったのは、北村の持ち前のしぶとさだった。
それと、機械開発に手弁当で協力してくれた人々の心に報いたいという
感謝の念があったからだ。

サイマティクスの素晴らしさは誰よりも北村本人が知っている。
それを何とかして世間に伝えたいーその信念が実ったのは、姫路の営業先で
施術院経営者が最初の購入者となってからだ。この経営者本人が鼓腸ガスの
症状がわずか一回のサイマティクス・セラピーで改善し、
その効果に感動したのがきっかけになった。その後、その人の知り合いである
内科医の紹介を受け、ここでも実際に使用したところ、癌治療にも有効との
結論が出て二番目の購入者に。

口コミと紹介の効力は何よりも強い。その後、医師から医師へと紹介が始まり、
心療内科、整形外科、一般内科、歯科、産婦人科をはじめ、接骨院から
一般家庭へと購入の輪が広がっていった。こうして普及すると同時に、
より多くの症例集も収穫できるようになった。それはとりもなおさず、
サイマティクスノウハウの蓄積に貴重なデータとなった。

新機種開発を支援したプロ集団   2009.03.28

マナー博士の理論を実現するサイマティクスの新機種開発によって、
より効果的なセラピーを実現しようと決意した北村。
人間、高い志を抱いた時は、そこに大いなる支援が寄せられるという。
当事の北村に起きた出来事はまさに、それを実感させるものであった。

 「機械の開発によって、人々の健康に貢献できるなら、
ぜひ、手伝わせてほしい」という人々が次々に現れたのである。
工学や医療機器の設計技術者たち。

スペシャリストには、スペシャリストとしてのロマンもある。
今までにない機種開発は、彼らにとっても手応えある
挑戦の場であったに違いない。各人が自らの専門知識と
技術を活かそうと結集したプロジェクトチーム。
ここに、国内初のサイマティクス・セラピー機械の製作が始まった。

企画から設計、開発、そして同時並行して行われるテスト、
製造にかかるまでに1年以上の歳月が流れた。
さらに、この期間中、強力な人材がプロジェクトメンバー加わった。
一人は循環器系のドクター、もう一人は分子生物学のドクターである。

ちなみにこの二人は姉妹で、姉が分子生物学、妹が循環器系のドクター。
代替医療に関心を抱いていた妹がイギリスでマナー博士と出会い、
「これは本物だ」と感動し、その後、松下の紹介で
北村を訪ねてきたのが経緯である。

代替医療の機械開発に関わる技術者集団にしてみれば、
ここに医師の助っ人が加わるほど、心強いものはない。
「この症例にはどの音が効くか、どの音が望ましいか」…開発過程で
その効果を確認する臨床データが少しずつ積み上げられていった。

当事を北村はこう述懐する。

 「全員が無報酬で協力してくれて…。有り難いという思いと、
申し訳ないという思いが交錯する毎日でした。それだけに、何としてでも
機械の開発は成功させようという気持ちになったことを覚えています」。

医師の協力のもとで、開発のテストは一段と内容が濃くなった。
音の作用について臨床実験を行い、どのような組み合わせなら疾患に
効果があるかをその都度、精密にデータとして構築していく。

この時、少しでもズレがある場合は、直ちに開発チームのもとで
再設計・開発が行われる。さらに、医師の協力はマナー博士の著書の
翻訳にも及んだ。博士の理論通りのセラピー効果を着実に高めたいという
北村の思いは、こうして少しずつ実現に近づいていく。

様々な音の組み合わせで何度となく臨床を繰り返すと共に、
北村も自身をはじめ、友人や知人の協力を得て臨床テストを実施した。
「これなら間違いなく、サイマティクス・セラピーの効果を発揮することができる」
-そう、確信できるようになったのは開発に関わって、1年が過ぎようという頃。

西洋医学・東洋医学的な知見をもとに実施された臨床の結果、
各疾患に対してどの音を当てれば効果があるかというモデルを
構築することができたのである。このスタンダードの確立によって、
日本発のサイマティクス・セラピーの機械が誕生した。

秋の日差しが次第に深まろうとする、1996年9月のことである。

直面した問題点   2009.02.21

なぜ、音によって治療効果のあるものとそうでないものがあるのか、
なぜ、これだけ故障が続くのか。
北村の質問に対するマナー博士の回答は至極簡単であった。
「機械とは、そういうものだ」-それだけである。

「それでは、サイマティクスがいかに良くても日本での普及はできない。
また、日本の機械の耐用年数は十年はある」北村が問いただすと、
「ミスター北村、機械は壊れてあたりまえなのだ。

その時は修理すればいいではないか」とマナー博士は反論した。
このあたりは、異文化間の考え方や価値観の違いである。
「クルマのジャガーと同じだな」と北村は思ったものの、どうしても納得ができない。

実際、マナー博士のクリニックでも一つの音で効果を出すのに
20分以上もかかっている。また、効果は出てもそれが遅いという事実をも発覚した。
これでは、セラピーにならない。

原因を究明しようと、北村は数度目のイギリス訪問の際、
日本から技術者を伴い、機械を製造するハドソンという人物を訪ねた。
ここで機械の製造工程を確認したところ、その製造法に問題があることが判明したのである。

原因はサイマティクスの機械が、マナー博士の理論通りにできていないことにあった。
サイマティクスをセラピーとして使うにあたって、人種や男女の性別、
老若によって、若干の周波数の差がある。

その差を全て振動として取り戻す方法を講じなくては、
マナー博士の理論通りの効果は期待できないことが判明したのだ。
「かくなるうえは、マナー博士の理論を最も忠実に再現できる機械を製造しなくては…」

大きな壁にぶつかった北村だったが、日本には世界に誇る優秀な技術力がある。それをサイマティクスの機械製造に活かさない手はない。
気持ちも新たに新機種開発に取り組んだのであった。

続く

はなみずき

マナー博士との出会い   2009.02.20

サイマティクスの素晴らしさに感動した北村は講演会修了後、
松下に「ぜひ、マナー博士を紹介してほしい」と頼み込んだ。

北村の熱意を感じとった松下は「マナー博士は四月に米国から戻る。
その時にアポイントをとろう」と快諾してくれた。

二ヵ月後、北村は松下とともに、イギリス・イーブシャムにある
ブレット・フォートン・クリニックを訪ねた。ここで北村は松下の通訳を聞きながら、
マナー博士よりサイマティクスのレクチャーを一週間にわたって受講する。

とはいえ、そこは専門領域の話ばかり。「医学の専門用語や量子物理学の
内容は正直、理解できなかった」と北村は当事を述懐する。
その後、同クリニックに通院する患者にもサイマティクスの効果を確認した。

そこで聞かされた言葉は押しなべて「ここに来るようになって以来、
西洋医学では治らなかった病気が快方に向かっている」という喜びの声だった。

「この事実が人々のお役に立てる何よりの証拠だ」-笑顔でサイマティクスの
効果を伝える患者と会話する中で、北村はサイマティクスを日本に
普及させようと固く決意するのであった。

その後、北村はマナー博士が使用していた「MARK:5」という
機械を5台購入。これをまず、自社の福岡本社、東京支店でテスト使用を試みた。
すると、ここにいくつかの問題点が明らかになった。

一つは音によって即効性のあるものと、ほとんど効果のないものがあるということ。
二つ目は機械の故障である。一度故障すると、イギリスに送って修理され、
戻ってくるのに三ヵ月から六ヶ月かかる。

「これではサイマティクスを日本で普及するのは難しい」
-そう判断した北村はその後、数回にわたって、イギリスのマナー博士を訪ねた。



池

北村とサイマティクスの出会い   2009.02.13

サイマティクスを初めて日本に紹介したのは、ブレットフォートン・
ユニバーサル・アカデミーの松下幸訓である。

松下は東京電機大学を卒業。その後、サイバネティクス(人工頭脳)を
学ぶため、イギリスの大学に進学、卒業後は同国で
人間を工学的見地から分析する業務に専念していた。

その松下にある日、大きな試練が訪れる。
最愛の娘が医者で「股関節変形症」と診断されたのである。
「何としてでも、この病気を治したい」…切なる望みをかけて
あらゆる医療機関を訪ねた松下だが、期待は裏切られた。

しかし、ここで大いなる幸運が舞い降りる。ある日、
「音で骨格の変形をも治療するところがある」という話が飛び込んできたのだ。

それがブレットフォートン・ホール・クリニック、マナー博士との出会いだった。
ここで神の奇跡が起きる。治療不可能と診断された末娘の股関節変形症が何と、
一ヶ月半で完全に治ったのである。

感動した松下はマナー博士より、サイマティクスの機械を購入。
本業と並行しながら、イギリス国内でセラピーを始めた。
自らサイマティクス・セラピーの効果を実感した松下。
この素晴らしさを母国の日本にも伝えたいと思うのに時間はかからなかった。

当研究会主宰者の北村とサイマティクスとの出会の背景には、
こんなストーリーがあった。そして、これからは北村の話。それは今から15年前にさかのぼる。

当時、北村は大手石油メーカーを退職後、福岡に本社を東京に支店を設け、
波動測定器(LFT)の代理店を営んでいた。その北村のもとを訪ねたのが松下であった。
「イギリスにサイマティクスという音の振動による新しい施療法がある。

その効果を測定する機械はないだろうか」。松下の問いかけに
北村は興味を持ちつつも「波動測定器には、使用時にそれを扱う人の意識が反映する
ケースが多々ある。傾向値は分かるが、確定的な数値を出すのは難しい」と答えた。

その後の会話の中で、サイマティクスの開発者であるサー・ピーター・ガイ・マナー博士の
話が出てきたのである。「人間の身体は全て固有の調和音振動をもっている。
ところが、体の調子を崩すと、その部位の本来の音(振動数・周波数)が乱れ、
不調和を起こしてしまう。

そこに注目したマナー博士は40年以上かけて、人体の各部位が持つ固有の音
(振動数・周波数)を計測し、臨床実験を重ねたうえでサイマティクス・セラピーを確立した」。

サイマティクスに関心をもった北村に、松下は福岡県・久留米市で開催する
日本初の「サイマティクス講演会」への出席を促した。
94年2月、寒波の影響で大雪の降りしきる日のこと。

福岡の実家に戻った北村は講演会が行われる久留米市まで車を飛ばした。
この体験が北村のターニングポイントになる。
講演会で上映されたのはマナー博士の海外公演のビデオ、そして音が実際に
物質に対してどのような影響を与えるかを紹介するハンス・イェニーのビデオ。

「音(周波数)を体と共鳴させることで健康を取り戻せるということ、しかも、
副作用が一切ないということに強い関心を抱いた。中でもハンス・イェニーのビデオは
音が物質に動きと形姿を与え、しかもその形姿が周期性を持ち続けている。
知らなかったとはいえ、こんな事実と世界があるのかと驚愕したことを今でも覚えている」

-当事の感動と驚きを北村はこう語る。

続く


さくら

プロローグ   2009.02.09

これはサイマティクスとの出会いから、試行錯誤の日々、
各医療機関への導入、評価から信頼の輪へと広がる
プロセスを時系列でまとめた記事です。

北村とサイマティクスの出会い、
サイマティクスの開発者・マナー博士との会見から来日、
研究会の発足などを追ってご紹介いたします。


すみれ

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