日本サイマティクス・セラピー研究会

サイマティクス・セラピーは人体の骨や筋肉、臓器が有する固有の周波数を、5つの音の調和音として患部に当て、共鳴・共振させて健康に戻す療法です。

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cymatics.therapy

Author:cymatics.therapy
サイマティクス・セラピーを体験し、その素晴らしさに感動した一人です。新しい時代の代替療法、サイマティクス・セラピーを伝えることで人々の健康な生活に寄与したい…。
そんな思いからブログ管理人に名乗り出ました。サイマティクス・セラピーを実践されている多くのみなさまのアドバイスを受けながら、その情報を発信していきたいと思っています。

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サイマティクスの普及活動   2009.03.30

機械が完成した後、北村は再び、イギリスのマナー博士のもとを訪ねた。
サイマティクスを普及するうえで改めて、その本質を学ぼうという思いからであった。
ここで北村はWHOの下部機関で代替医療の研究開発を推進する
The Open International University からDCBM
(Doctor of Cymatics & Bio Enegetic Medicine) の称号を得る。

こうして、サイマティクスの普及が始まる。通常、新機種が開発される場合、
その目途がついた時点で何らかのプロモーションが行われるものだが、
北村はセラピーの効果に確信を持てるまではそれをしたくなかった。
早い時期からアプローチをすることは考えなかったかとの問いに、
普段は温厚な北村が断固として答えた。

「サイマティクスは人様の健康に寄与しようとするもの。
だからこそ、無責任なことは絶対にしたくなかったんです」

強い目的意識をもってスタートした営業活動。しかし、当初は苦難の連続であった。
今でこそ、サイマティクスは世界で代替医療として高い評価を得ているが、
当事はそこまでの知名度がない。
しかも、日本では初めての紹介であり、普及である。

ちなみに、営業に従事したのは北村以外に福岡で一人、東京で二人。
今までになかったものを広めようというのに、わずか4名でそれを果たそうというのも
無謀と言えば、無謀である。営業先はクリニックや病院が中心。

しかも、何の紹介もない飛び込み営業である。最初の1年半は訪問しても3分として
話を聞いてもらえない、その大半が門前払いという状況が続いた。
それでも諦めなかったのは、北村の持ち前のしぶとさだった。
それと、機械開発に手弁当で協力してくれた人々の心に報いたいという
感謝の念があったからだ。

サイマティクスの素晴らしさは誰よりも北村本人が知っている。
それを何とかして世間に伝えたいーその信念が実ったのは、姫路の営業先で
施術院経営者が最初の購入者となってからだ。この経営者本人が鼓腸ガスの
症状がわずか一回のサイマティクス・セラピーで改善し、
その効果に感動したのがきっかけになった。その後、その人の知り合いである
内科医の紹介を受け、ここでも実際に使用したところ、癌治療にも有効との
結論が出て二番目の購入者に。

口コミと紹介の効力は何よりも強い。その後、医師から医師へと紹介が始まり、
心療内科、整形外科、一般内科、歯科、産婦人科をはじめ、接骨院から
一般家庭へと購入の輪が広がっていった。こうして普及すると同時に、
より多くの症例集も収穫できるようになった。それはとりもなおさず、
サイマティクスノウハウの蓄積に貴重なデータとなった。
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新機種開発を支援したプロ集団   2009.03.28

マナー博士の理論を実現するサイマティクスの新機種開発によって、
より効果的なセラピーを実現しようと決意した北村。
人間、高い志を抱いた時は、そこに大いなる支援が寄せられるという。
当事の北村に起きた出来事はまさに、それを実感させるものであった。

 「機械の開発によって、人々の健康に貢献できるなら、
ぜひ、手伝わせてほしい」という人々が次々に現れたのである。
工学や医療機器の設計技術者たち。

スペシャリストには、スペシャリストとしてのロマンもある。
今までにない機種開発は、彼らにとっても手応えある
挑戦の場であったに違いない。各人が自らの専門知識と
技術を活かそうと結集したプロジェクトチーム。
ここに、国内初のサイマティクス・セラピー機械の製作が始まった。

企画から設計、開発、そして同時並行して行われるテスト、
製造にかかるまでに1年以上の歳月が流れた。
さらに、この期間中、強力な人材がプロジェクトメンバー加わった。
一人は循環器系のドクター、もう一人は分子生物学のドクターである。

ちなみにこの二人は姉妹で、姉が分子生物学、妹が循環器系のドクター。
代替医療に関心を抱いていた妹がイギリスでマナー博士と出会い、
「これは本物だ」と感動し、その後、松下の紹介で
北村を訪ねてきたのが経緯である。

代替医療の機械開発に関わる技術者集団にしてみれば、
ここに医師の助っ人が加わるほど、心強いものはない。
「この症例にはどの音が効くか、どの音が望ましいか」…開発過程で
その効果を確認する臨床データが少しずつ積み上げられていった。

当事を北村はこう述懐する。

 「全員が無報酬で協力してくれて…。有り難いという思いと、
申し訳ないという思いが交錯する毎日でした。それだけに、何としてでも
機械の開発は成功させようという気持ちになったことを覚えています」。

医師の協力のもとで、開発のテストは一段と内容が濃くなった。
音の作用について臨床実験を行い、どのような組み合わせなら疾患に
効果があるかをその都度、精密にデータとして構築していく。

この時、少しでもズレがある場合は、直ちに開発チームのもとで
再設計・開発が行われる。さらに、医師の協力はマナー博士の著書の
翻訳にも及んだ。博士の理論通りのセラピー効果を着実に高めたいという
北村の思いは、こうして少しずつ実現に近づいていく。

様々な音の組み合わせで何度となく臨床を繰り返すと共に、
北村も自身をはじめ、友人や知人の協力を得て臨床テストを実施した。
「これなら間違いなく、サイマティクス・セラピーの効果を発揮することができる」
-そう、確信できるようになったのは開発に関わって、1年が過ぎようという頃。

西洋医学・東洋医学的な知見をもとに実施された臨床の結果、
各疾患に対してどの音を当てれば効果があるかというモデルを
構築することができたのである。このスタンダードの確立によって、
日本発のサイマティクス・セラピーの機械が誕生した。

秋の日差しが次第に深まろうとする、1996年9月のことである。
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